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(最終更新071024 3:14)

下記の記事の続きだと思って下さい。
あまり良い内容ではありませんので自己責任で御覧下さいませ。


事情が分からない書き方をしてしまってすみませんでした。
自分に落ち度があるにも関わらず、それを認めたくなかったのかもしれません。

私は相当以前から鬱病にかかっていました。
気がついた時にはもう取り返しがつかない程「自分」を忘れていました。
私は「臆病で何も出来ない自分」を変えるつもりで「飄々と生きていくフリ」をして
「それが自分であるという錯角」すら起こしてしまいました。
そしてそれに気がつく事なく長くを生活してしまいました。

『自分を隠しながら生きている自分』が「自分」であるのだと思い込んでいて
それは一切覆せないものになっていることに気がつきませんでした。
そしてある結論に達します。

「自分が誰かを傷付けてしまう位なら人にとって意味のない存在になればいい」
「そしてただ人を愛するが故に、私は武器を取ろう」

とても意味のないことだと、今ならはっきりと言えます。
私は私が怖かった。
時折人の為に人を犠牲にする自分が。
そして誰の助けも求めずに生きていこうとする自分が、いつか折れてしまうのではないかと言う事を。
孰れ、全て忘れて人に助けを求めるのではないか?
そしてそのまま人に依存してしまうのではないか?
私にとって人に依存することは「親に貶される事」なのです。
ある一種の恐怖対象である親に貶される事は更に恐怖を生むだけ。
間違えば殺人を犯しかねない精神状態の中でそんな事があれば何か間違えてしまうでしょう。
(もっとも、私が殺す事ができるのは自分だけですが)

恐怖は更に私の精神状態を悪化させました。
「他人を傷つける事」の被害で鬱になった故に私はそれを一番恐れ
どうしても傷付けたい衝動がうまれるならば全てを自らに向けました。
できることならば、死んでしまいたかった。
私は刃物がどうしても苦手なので、死ぬ事にならなくてよかった思っています。

本当はもっと色々な事が関わって私は今に至っています。
けれどそれはここで話すべきでもないし、一番大事な事はそっと胸にしまっておきたいのです。
上手く言えないというよりは、言葉にしてしまえば何の意味もなくなってしまうようなそんなちっぽけな感情しか抱く事ができないから
だから私はいつも上手く言えないままなのですが。

結局、私はたくさんの恐怖から逃げる事しかできなくなりました。
他人と関わる事は「その人に私の価値を生み出して『しまう』事」
それはまさしく私が意味のある存在になる事でした。
だから私はそれを回避すべく全てを止めた。
何もしない。
かりそめの幸せを幸せだと必死に思い込む。
そうすれば乗り切れると、
そうすれば孰れ混乱して自ら命を絶てると、
考えていました。

鬱病を治そうとしたこともありました。
けれどそれじゃ私にとっての本意ではなかった。
私は最早「現状を変えたくない」という気持ちの方が大きくて治したくなどなかった。

結局私がいままでどう考えていたかというと
私という概念が生産した世界がある程度上手い具合に成形されたのでそれを永遠に変えずにいようとしていたのです。
自覚がなかったかあったかは定かではありませんが、それに意味はなく
「永遠という概念」を信仰してしまった事が問題なのです。

確かに永遠は存在すると思う。
けれどそれは「魂という途方もない尺度での存在」にとってしか意味がなく
私という存在が到底触れられるようなものではない。
今はそう思います。


私が今回とった行動は
「人をなるべく傷付けないでの最善の行動」を選んだつもりです。
此れ以上行動しないままでいれば孰れ悲しみは生まれますし
例え無理に再度活動をすれば私ももたないし、必ず人を傷つける。
だから私の中で最善と思っています。


今、少しだけ気持ちが変わり始めました。
間違っていたと思う事ができました。
変われるかもしれない。変わりたいと思う。
そんなにすぐに、簡単に変われやしないからとても時間はかかると思うけれど
できるだけ頑張ってみたいと私は思っています。

どんな私でも、私は私。
決して作って接している訳ではなくて、そこには確実に私がいる。
永遠など私には関れない事だから、例え大切な思い出を忘れてしまうのも怖くはない。
やっと少しだけ、自力で歩き出せた気がします。
もっと自分で歩けるようになったら、皆さんにちゃんとお会いしたいと思います。
だから、今は暫しお別れをしましょう。
有難うございました。






私は、他人の「その人すら知らない事」を知る可能性のある存在です。
故に特殊な精神的世界(若しくは精神論)を持っています。
理解して貰えないとは思いますが
魂だのなんだの言ってしまいましたし、そういう形でなければ自分の言葉として成り立たないので説明しておきました。
ご了承頂ければ幸いです。


彼らがどういうコンセプトでどういう歩みにしようという事を書いたので
もしなんとなく気になるようでしたらこちらを御覧下さい
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